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日々徒然に

日々徒然に

2003年前半に劇場で観た映画

「運命の女」

 映画の導入部分が、この映画の行く末を暗示するような、強い風の吹く朝から
始まっている。この強い風が主人公の女性と不倫相手の男とを結びつける。

 主演のダイアン・レインが、妻・母親そして女を見事に演じている。これま
でのダイアン・レインは、どんな映画に出てもお飾り的な存在だった。それが
この映画は彼女を中心に回っている。彼女の演技如何で、この作品が駄作にな
るか秀作になるかだった。勿論、体当たり演技で後者になっている。
 この作品でダイアン・レインは名女優になったといって良い。
また、その夫役を演じた、リチャード・ギアも初老に達していい味を出して
いる。彼には、共演の女優を大成させる才能があるのかも知れない。例えば
「プリティ・ウーマン」のジュリア・ロバーツのように。

 ストーリーはごく有り触れた不倫であるが、その中で母親・妻・女が微妙に
入れ替わる。最初は上手くいっていたが、だんだん深みにはまり出す。その内
に夫の知るところとなり、悲劇が起こる。ラストは暗示になっている。これま
で見てきたような、終わりがはっきりしたハリウッド型の映画ではない。

 この作品には悪人は出てこない。ただ強風が吹いていて、しかもタクシーが
つかまらなかっただけだ。何だかこう書くと、カミユの「異邦人」の主人公が
「太陽が眩しかったから」と言ったことを思い出す。
人間の運命とは、こういう些細なことで左右されるのかも知れない。

「レッド・ドラゴン」

「羊たちの沈黙」と同じく、推理していくという面と恐怖とが混ざり合って、 
なかなかの出来だった。今回は連続殺人犯の心の内面も垣間見せていて興味深い。

 この映画の主役ともいえるハンニバル・レクター博士が映画の冒頭で逮捕され
投獄されてしまった。「羊たちの沈黙」と同じく、またしてもレクター博士が
刑務所の中からFBI捜査官と向き合うという設定だったので、もう少しレクター
博士の数々の犯罪歴を知りたかった。
 まあ、「人食いハンニバル」というニックネームから推し量るのだろう。

 シリーズものの常として、第1作目の衝撃を越えることは出来なかったようだ。
しかし、これ一作だけの評価をするなら勿論及第点である。

 この映画の最初の方で、レクター博士の家での晩餐会のシーンが出てくる。
出されているのは人間の体の一部と思われる。招かれた客はそんなことは
知らずに舌鼓を打つ。もしも自分の知り合いにレクター博士のような人が
いたらと思うと、余所の家に食事に招待されるのが怖くなった。

「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」

 第1部の終わりで、3つのグループに分かれてしまった旅の仲間たちのそれぞれの
話になるので、目まぐるしくシーンが変わる。第1部を見ていなかったら、とても
分からない。

 今回もCGが多用されていた。コンピュータが映像編集に使えるようになったから
こそこの「ロード・オブ・ザ・リング」を作ることが出来たという。
また、ホビット族、エルフ族、ドアーフ族、人間と様々な登場人物がいる。
それぞれが指輪を捨てに行くという使命に燃えている。この中で、エルフ族の話す
独特の言葉がある。それもその筈、原作者のトールキン教授のオリジナルである。
トールキン教授の本業は言語学の教授である。

 第2部は第1部に比べると、話の進展が少ない。第1部では、各登場人物の紹介や
話の設定に重点を置いていたからだろう。戦闘シーンは第1部よりも遙かに多い
のだが、第1部でエルフ族のアルウェン姫が、馬に乗ってホビット族の主人公を
助ける時のようなハラハラドキドキがなかった。第3部の完結編でどんなシーンが
展開されるかが楽しみである。

 第1部でも感じたのだが、ロケーションが素晴らしい。地球上で最後の自然が残る
というニュージーランドで撮っているそうだ。大自然とそれをヘリコプターからの
空撮で見事に映像化している。

「Catch me if you can」

昨年は、ディカプリオは「ギャング・オブ・ニューヨーク」という大作にも出演している。
また、トム・ハンクスも「ロード・トゥ・パーディション」に力を入れて出演していた。
丁度この作品は、それらの合間に出演した映画という感じだ。スピルバーグ監督が2ヶ月間で
撮り上げたという話だ。

しかし、作品の出来は素晴らしかった。ディカプリオもハンクスも熱演だ。時は1960年代。
ディカプリオが天才的な詐欺師を演じる。そしてそれを追うFBI捜査官がハンクスである。
この時代はアメリカもよき時代だったようである。もう少し時代が下がるとベトナム戦争が
泥沼化して、アメリカ全体が重苦しくなる時代だ。

 詐欺師の映画というから軽い気持ちで観に行ったが、内容は親と子の関係を考えさせる重厚な
作品だった。何不自由のない高校生だったディカプリオが、父親の会社の倒産、両親の離婚と
あっという間に環境が変わってしまう。そんな中、彼はパン・アメリカン航空の副操縦士に
なりすます。先天的にその方面の才能があったのだろう。彼は大金を稼いでしまう。

そういえば、昔はパン・アメリカン航空という大きな航空会社があった。その会社が潰れて
もう10年近く立つんじゃないかな。それ以上かも。

そのお金を持って父親に会いに行くのだが、父親は受け取ってくれなかった。その後、小児科医、
法律家と次々に姿を変える。しかし、彼はまだ高校生なのである。その後、外国に渡り悪事を
重ね、結局FBIに捕まる。その後、彼はその才能を見込まれてFBIで働くようになる。
これは実際にあった話であるから、説得力がある。

ディカプリオもハンクスも肩に力を入れずに、演技を楽しんでいるように見える。
それをスピルバーグ監督が巧みに操って、第一級の作品に仕上げている。実話なのだが
実話が持っている重苦しさをさらりと除けて、軽快な娯楽作品になっている。

「黄泉がえり」

 話題の映画「黄泉がえり」を見てきた。久々の日本映画である。見終わった
後、ジーンと感動が体の底から湧いてきた。ありもしないことを題材にして
いるが、あたかも実際に起こっているようにさえ感じる。演出が凝るわけで
もなく、淡々と描いているところが、更にこの映画を際だたせている。

 映画とテレビの最も大きな違いは、間である。台詞がない空白の時間が流れる。
それが良いのである。作品に深みが出る。俳優の演技の幅も広がる。普段、
テレビで見ている顔ばかりなのに、全然違って見える。テレビでは、この間
というものが無い。無いというより、作ることを許されないのである。空白の
時間など作れば、視聴者は容赦なくチャンネルを変えてしまう。それにCMが
10分おきぐらいに入るので、ますます忙しい番組構成になっている。バラエティ
番組が増えているのも肯ける。

 黄泉がえって来た者達も、やがてまた去っていく。時間という流れの中で、
一旦沈んでしまった者たちの存在するところなんて何処を探しても無い。
日々刻々と世の中は動いているのである。

伝えられなかった思いや聞きたかった言葉、それらを感じられる僅かの時間で
いいから、こういうことが本当にあればいいと思う。我々はこういうことを
思うからこそ、文学や映画も存在するのだろう。

「X-MEN2」

 2時間半近くの映画がこんなに苦痛に感じられたことは久しぶりでした。
以前、「A.I.」を観たときと同じような感じ方です。映画自体は丹念に作られて
いるのですが、もう一つピンと来ない。こういう映画って時々あります。
SF映画の時は特にそうです。荒唐無稽の話だけに、好き嫌いがはっきりしている
のだと思います。その世界に上手く入っていけるかどうかです。入り損なうと
おかしな映画で終わってしまいます。期待を持たせてくれたのは、最初の
ホワイトハウス内での大立ち回りだけで、後は派手なアクションを散りばめただけでした。

 一言いわせてもらえば、だらだらと長すぎた感じです。マニアなら気持ちが
良いんでしょうが、温めのお湯に浸かっているみたいで全体にしまりがなかった。
もっとヤマ場の一点に集中するべきだと思いました。

「戦場のピアニスト」」

 思っていたほど心を揺さぶられなかった。恐らく第2次大戦中のユダヤ人の
苦難は、記事、記録写真、その他数々の映画で予備知識があるからだろう。

 この映画を観ていると、ヒットラーやナチス党だけでなく、ドイツ人全体が
狂っていたようだ。ユダヤ人排斥の空気はドイツに限ったことではなく、
ヨーロッパ全体に大昔からあったものだろう。ヒットラーがそれをホロコースト
という、人間として絶対に許されない行為で示しただけだろう。

 主人公は天才ピアニストであった為に、沢山の人に命を救われる。彼は戦争を
生き延び、再びピアニストとして活躍する。まるで死んでいった人たちの願いを
受け止めているかのようである。

 ユダヤ人のイスラエル建国がどれほどの悲願であったかが分かる。自分たちの
国さえあればと幾度も思ったことだろう。拠り所がない為に、その国の政府の
方針によって耐えがたい苦難を強いられる。今日の映画では、収容所に入れられる
までにもユダヤ人の命は安易に奪われていた。祖国がないということは、なんと
哀しいことか。

「チルソクの夏」

 モノクロで現在の日韓親善陸上競技会の模様が映し出されます。そこで女性体育教師の回想が
始まります。そして画面はモノクロからカラーに変わります。1977年7月7日の釜山の
競技会に移り、そこで主人公の日本人の女子高生と韓国人男子高生が出会います。
そして1年後の七夕(チルソク)の日にまた会いましょうと約束をします。
この時、日本と韓国はあんなに近いのに、英語を交えなければ会話が通じないことに
今更ながら歯がゆい思いでした。

 それから1年、様々なことがあり、再び下関で出会うことが出来ました。
歓迎会の時、その韓国人男子高生は「なごり雪」を歌いました。しかし、当時は
韓国では日本の歌を歌うことは禁止されていました。直ぐに止めさせられて
しまいました。韓国と日本、近くて遠い国だったのです。
二人が会ったのはそれが最後でした。韓国人男子高生の方には大学での勉強とともに
兵役というものがありました。

 主人公の女性は体育大学に進み教師になり、また親善陸上競技大会の場に立ちました。
そしてかつての男子高生と再会するところで終わりです。

 1970年代の普通の高校生活を通して、韓国の高校生の姿を描き、平和の大切さを
さりげなく描いています。反戦の姿勢も、先日観た「戦場のピアニスト」のような
仰々しさもなく、自然に受け止められました。

 主演の女子高校生4人は現役の女子高生で、後の出演者もこれといったスターも
出ていません。また、特撮などで迫力のある場面構成もありませんが、第一級の映画でした。
お金の掛かったハリウッド映画よりも、日本でも心にしみる映画が出来るという証拠です。

この映画のホームページは
http://www.chirusoku.jp
です。

「シカゴ」

 評判通りの出来映えでした。ミュージカルといっても、従来のもののように
喋っていて、いきなり歌いだすというような作り方ではなく、登場人物が物思いに
耽ったりしたときに想像上で煌びやかなダンスや歌が披露されるというものでした。

 主演の3人の歌と踊りは半端じゃない。役者魂極まれりという感じでした。
ヒロインのレニー・セルウィガーは、「ブリジッド・ジョーンズの日記」の時は、
やや太めでとてもダンスなど踊れないという体型だったが、この映画では体の贅肉を
落とし、キャサリン・ゼタ=ジョーンズと共に軽やかなステップを踏んでいた。
ラストの2人の踊りは素晴らしい。

敏腕弁護士役のリチャード・ギアも登場したときは、こんなに老けたのかと思われる
くらい
老人になっていましたが、映画が進むに連れて踊って歌ってと、若い役者顔負けでした。
特に終わりの方で見せたタップ・ダンスは軽快で迫力がありました。しかし、
顔はマジな表情をしていました。あれは吹き替えではないでしょう。
何故、彼がアカデミー賞にノミネートされなかったのか不思議です。

 この映画は、SFXに押されがちな俳優陣が見せた、底力のような気がしました。
伊達に高いギャラを取っているのではないという、ハリウッド・スターの意地を感じました。

「マトリックス・リローデッド」

 前作に引き続き、画期的な映像の連続に驚く。特に撮影の為だけに作ったという
高速道路上でのカーチェイスや、目も眩むようなオートバイの激走には、目を見張る
ものがある。

 今回は、ザイオンの内部の人々の確執までも詳しく描かれており興味深い。
また、ネオとトリニティの恋、その愛の力ゆえの危機からの脱出と、とかくSFXにだけ
注目が行く作品だが、人間関係重視の作品の作り方に好感が持てる。

 使われる武器も、銃器類は元より日本刀で戦う場面もある。何故未来の話なのに、
走っている車の型は現在のものであり、銃器も薬莢がバラバラと出る現在のものなのか。
更に前作を観て不思議におもったのは、そんな未来に公衆電話があるのかということである。

 時代考証など全く無視しても、とにかく面白いものを作ろうという考えだろう。
ここは、難しいことを考えずに2時間余りの架空の世界で遊ぼう。と思っていたら、
突然、次回に続くというメッセージ。11月の最終章が待ち遠しい。



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